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石山テクノ建設株式会社はあらゆる構造物の補修・補強・耐震工事を通じてインフラを守る環境保全企業です。

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随想 第九回 「貝塚から知る縄文人の知恵」

はじめに

 東日本大震災から2年2カ月が経った2013年5月15日(水)に全国から集まった約200名が5台のバスに分乗して被災地を訪れました。

 2011年3月11日14時36分18秒に発生したマグニチュード9.0という規模の海溝型地震は、大津波を伴い、東北地方を中心とした死者・行方不明者計2万人以上にのぼる甚大な被害をもたらしました。
 特に石巻市立大川小学校では、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となりました。
 学校の前には祭壇が設置されており、代表者が献花と焼香をして、一同、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに被災された方々には心からお見舞いを申し上げました。

  震災を防ぐにはどうすればよいのか、を今一度考えてみたいと思います。

自然と人間の関わり

 慶応義塾大学環境情報学部准教授の大木聖子(おおきさとこ)氏は翌日16日のある集会での基調講演で「どんなに大きな地震が来ても一人も住んでいなければ死者はゼロ」と言われ、地震災害は自然と人の関わりのなかで発生することを説かれました。

 赤崎町の蛸ノ浦貝塚は5万5千平方メートルもある日本屈指の大貝塚で,同町の大洞貝塚は発達した漁具が出土し縄文漁師のムラだった。
 大船渡町の下船渡貝塚は大船渡湾を見下ろす眺望のよい丘にある。
(2010年11月21日 朝日新聞電子版より)

 蛸ノ浦貝塚は標高約35メートルの丘に広がる。
 約5万5千平方メートルが国の史跡に指定され,縄文時代の土器や人骨,住居跡などが大量に出土。
 貝層の厚さは最大2メートル以上あり,規模と保存状態の良さから日本屈指の大貝塚として知られる。
(産経新聞電子版より 2011.9.18 )

 縄文時代は、今から12000年前に始まり2300年前まで、1万年続いた。
 縄文時代に生きた人々(以下、縄文人)は、 自然の恵みを存分に受け、狩猟・採集・漁労を生業の中心としていた。
 縄文時代に最もよく捕獲されていたのはイノシシやシカである。
 山梨県金生遺跡ではイノシシの幼獣が一個体そのまま発見された。
 これは、食用としてではなく埋葬・供養されたことと考えられる。
 シカは食用として肉はもちろん毛皮は防寒などに使われた。
 さらに角は石器製作の道具や釣り針など材料に使われた。
 シカは実に利用価値が高かった。
 宮城県前浜貝塚ではイヌが人間と並んで埋葬された例が発見されている。
 狩猟に欠かせないイヌは家族同様の扱いを受け、最後は飼い主の脇に葬られたのであろう。
 一緒に生き、家族を支えたイヌに対するやさしさ、愛情が伝わってくる。

 イヌ・イノシシなど形どった動物形土製品もたくさん発見されている。
 動物形土製品や狩猟の様子を描いた土器は単なるおもちゃではなく、豊穣を祈る大切な道具だったと考えられる。

 縄文人にとって自然は豊かさをもたらしてくれる存在であると同時に、恐れられる存在でもあった。
 自然が不安定だからこそ必要とされた様々な祈りは、自然に対する不安の気持ちの裏打ちであり、畏怖する心へとつながる。
 このような自然と向かい合う縄文人の姿勢を、ある学者は「縄文姿勢方針」という語を用いて表現している。   縄文時代の貝塚や遺跡からは哺乳動物・鳥類・魚介類・植物性食料など500種類以上の食料が発見されている。多種多様な食糧資源を分け隔てなく利用して安定を図っていた。
 特定の種類を乱獲しないで生態系の維持にもつながっていたと考えられる。
 狩猟・採集・漁労において身近な自然と向き合い、生活の舞台としていた縄文人にとって自然を壊すことは致命的であった。豊穣を祈りながらも、自然との距離を認識しながら暮らしていた縄文人の感覚を大切にしたい。


石山テクノ建設株式会社 代表取締役 石山孝史


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