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迫りくる震度7 その9
【大地震で建物が壊れる原因と対策(木造編)①木造住宅の歴史と耐震性の変遷】


 大地震での木造住宅の地震被害に関して、現在の木造建物の建築様式に至るまでの建築様式の歴史から振り返ってみます。

1,木造住宅の歴史



木を使った住居の歴史

 縄文時代から奈良・平安時代の一般的な庶民の居住施設は、竪穴を掘って柱をたてて屋根を葺いた「竪穴式住居」でした。
 

 現代の木造軸組工法の主に柱や梁といった軸組(線材)で支える基本構造は、竪穴式住居から受け繋がれてきたものです。

 平安時代では、地方の田舎はまだ「竪穴式住居」でしたが、平安京内の庶民の間では長屋(町家)が建てられ始めます。

【出典】『年中行事絵巻』(京都大学附属図書館所蔵)P206部分引用

 住居内に土間よりも高い位置に有るが生まれ、半分が土間で残りに床を張った平屋建て板葺き屋根の簡素な掘立小屋でした。

 平安時代では、M8クラスの海溝型巨大地震で貞観地震・仁和地震・永長地震、内陸部の文治地震など大地震が発生しました。

 江戸時代になると、経済の発展に伴い都市部には商人の店舗兼住居の「町家」や集合住宅の「長屋」が数多く立ち並ぶようになり、江戸は1700年代には100万人都市となり、世界一の大都市として発展します。


この大都市を襲った大地震として、1855年安政江戸地震(安政の大地震)が有ります。

農村地帯では、茅葺き屋根と土壁からできた「農家」が多く建てられました。


 江戸時代の住居は、身分制度上の形式で、一般庶民が住む民家(農家・魚家・商家・町屋)と、武家屋敷、侍屋敷や公家屋敷がありました。

 竪穴住居の流れを汲む土間の歴史は江戸時代まで続いていましたが、明治時代になると、瓦屋根、縁側のある和室、ふすまで仕切られた部屋、土間の代わりに板の間の台所と、変わっていきます。



古民家」は、
・伝統的な建築工法である木造軸組工法で建てられている
・茅葺屋根、草葺き屋根、日本瓦葺き屋根、土間、太い柱と梁 ・築年数が50年以上経っている
・・・住居を古民家と呼ばれます。

[建築後100年の古民家]  

 築年数が50年以上は、1950年(昭和25年)に建築基準法が制定される以前に建てられていた伝統構法(伝統的な木組みの建築構法)で建てられた家になります。
※構法は建物の構造の組み合わせ方法や構造の状態、工法は建物の作り方や施工の方法として、木造軸組み工法の区分で、伝統構法在来工法で表示します。

伝統構法(伝統工法
 日本に古来から伝わる木造軸組み工法で、継手や仕口などの木組みによる変形性能(柔軟性)を活かした構法です。
 伝統構法は「変形性能」によって、地震による揺れのエネルギーを吸収・受け流す構造で、現在の在来軸組み工法とは構造が異なります。

柔らかく耐える

 更に、古民家や古い寺社仏閣などに見られる「石場建て」は、大地震時で柱脚が浮き上がったり、ズレたりすることで建物に伝わる地震エネルギーの入力を減らす「免震構造」として機能します。



2,質の伝統構法から量の在来工法への転換



 現代の日本は多種多様な構造の建物で満ち溢れています。 建物の数は、その時代の人口や経済規模の表れです。

 日本の、西暦700年以降の長期的な人口の推移は以下のグラフになります。


 人々の暮らしを守るための住まいが欠かせませんが、明治維新以降の急速な人口増加に伴う住宅需要が日本の歴史上如何に大きなものだったかがグラフの急上昇から見て取れます。

 日本は高度経済成長期(1955年~1973年までの19年間)で名実ともに経済大国となり、人口は1億人を超え、住宅着工数もその間に一気に増大しました。 (丁度サザエさんの原作の時代背景の時期です。)


【出典】国土交通省の報道発表資料「不動産業ビジョン2030参考資料集」から引用。

 建設関連の工事量が急増し、多くの建設会社が誕生しました。
 1948年に建設省が設立され、1949年には建設業法が成立し、「建設業」という言葉が使わ れるようになりました。

 高度経済成長期に急速に増大する住宅需要の対策として、西洋建築の思想を取り入れ、短期間に大量に建築できることを目的に普及した木造軸組み工法を、在来工法と総称しています。



 在来工法は、伝統構法で培われた耐震技術を継承したものではなく、明治の文明開化以降の西洋化の流れの中で、構造力学に基づいて建設を担う「建設業」に多くの人材が携わり、数多くの住宅が建設されていきます。

在来工法の耐震性

 在来工法(もしくは在来軸組工法)は、土台・柱・梁・桁・筋交い等の主要な構造を木材の軸組で構成する構法で、柱や梁のほぞ・ほぞ穴による接合を基本とし、結合部にボルトやプレートなどの金物を使って強固に固定し、筋交いや火打梁・火打土台など斜めの材を取り付け三角構造を取り入れ、建物全体の剛性を高める(硬く強くする)ことで、地震による揺れのエネルギーを受け止めて耐える構造です。


強く耐える

 その為、揺れのエネルギーが建物の強度を上回ると、いっきに大破や倒壊する可能性があります。





3,木造建物の基準法の変遷と耐震性



 1950年(昭和25年)に建築基準法が制定され、定められた耐震基準に従って建物が建設されるようになります。
 1971年の建築基準法改正で、中地震の基準が盛り込まれ、1981年の建築基準法大改正(新耐震基準)で大地震の規定が盛り込まれました。

【建築基準法の変遷】


【新設住宅着工数の推移と建築基準法】


【出典】農林水産省Webサイト「新設住宅着工数と木造率の推移」のエクセルデーターを基に作成


木造建物の耐震性に関わる既定の概要は以下になります。

1950年(昭和25年)建築基準法制定
床面積に応じて必要な筋違等を入れる「壁量規定」が定められた。

1959年(昭和34年)建築基準法の改正
床面積あたりの必要壁長さや、軸組の種類・倍率が改定された。

1971年(昭和46年)建築基準法施行令改正
基礎はコンクリート造又は鉄筋コンクリート造の布基礎とすること。
風圧力に対し、見附面積に応じた必要壁量の規定が設けられた。
・現行基準よりも壁量が少ない

1981年(昭和56年)建築基準法施行令大改正 新耐震設計基準
2000年規準に対して
・柱頭・柱脚の補強金物が規定されていない
・壁のつりあい良い配置についての規定がない

2000年(平成12年)建築基準法改正 2000年基準
・地耐力に応じて基礎を特定。地盤調査が事実上義務化
・構造材とその場所に応じて継手・仕口の仕様を特定
・耐力壁の配置にバランス計算が必要となる。


 2000年(平成12年)以降の耐震基準で基準法の目標にほぼ到達しましましたが、熊本地震では、熊本県益城郡益城町でわずか約28時間以内に震度7の地震が2度発生し、新耐震基準の導入以降に建てられた住宅の倒壊や大破も目立ちました。

出典:「熊本地震における建築物被害の原因分析を行う委員会 報告書」【本文】委員会報告書P33(国土技術政策総合研究所)

 新耐震基準でも1981年~1999年の間に建てられた住宅は、耐震診断の上、必要に応じて耐震補強が必要な場合があります。

 2000年基準で建てられたものでは、無被害が61.4%と明らかに耐震性が向上していますが、2000年基準でに建てられたものであっても、建築基準法は 「一度の大地震に対して、おおむね安全」 な基準であることに注意が必要です。


【続編】

迫りくる震度7 その10 【大地震で建物が壊れる原因と対策(木造編)②地震被害の傾向

迫りくる震度7 その11 【大地震で建物が壊れる原因と対策(木造編)③地震に耐える粘り強さ



2025年9月26日改定





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