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5月の連休を利用して韓国を旅行した。 釜山から西に、西海岸沿いを北に、仁川まで1500kmほどの自動車旅行だった。 韓国の山はどこも濃い緑の松林、山裾に薄緑の落葉樹、山裾の開けたところに芝で覆われた土饅頭が数多く見られた。 門松をはじめ、松飾り、松の内、松納めなどの言葉にも見られるとおり、松は新春を祝う植物として昔から一番良く知られ、また親しまれているものである。 松は二本の葉が対をなして向かい合い、たとえ落ちて枯れても金輪際離れることがない。 夫婦の和合もかくありたいものと、松葉のつき方を新年の目出度さにたとえている。 日本人に古来からある常盤木信仰のなかで、他の常盤木をさしおいて、ほかならぬ松が延命、長寿、繁栄等祝いのシンボルとしてずば抜けた地位を勝ち得たのは、やはり中国的教養の吸収に精を出した平安貴族の力によるところが大きいとされている。 韓国の「東亜日報」の今年4月の植木の日を迎えて論説委員洪賛植の記事{[オピニオン]松の木のエイズ}には以下のようなことが書かれていた。 『高麗時代には松の病虫害による被害が深刻で、軍事を動員し仏教を唱えるなどあらゆる努力をしたが被害を防げず、内閣が総辞職の意志を明らかにした。車窓の風景ではほとんど気づかなかったので、韓国にもそれほど松食い虫の被害が広がっているのだろうかといささか疑問に思った。 しかしこの記事を読んで、松の木に対する民族的な危機意識の強さに、やはり相当深刻なのだろうと思い直した。 韓国における松の木の地位は高く、日本以上に他の樹木の追随を許さないのだろう。 松は日本の庭園の主役である。 桂離宮、修学院離宮等有名な日本庭園で松の木がないところはない。 シンボルツリーとして、門掛けや池掛けとして、あるいは背景として使われている。 人の目に近いところの松は、先端部分を摘んで先へ伸びる勢いを止め、基部の方から芽が出やすくする。 このミドリ摘みという手法で樹形が維持できる。 また芽数が増えるので、剪定して美しい松に仕立てやすくなる。 枝振りの曲線美と、手間をかけたこのような剪定による繊細な美しさが、日本の松の特徴である。 韓国の庭園はほとんど人の手が加わっていない。 イギリスの風景式庭園は、自然に見せる意図を読み取れるが、韓国の場合はそれがない。 あるがままといっていい。 マダンといわれる庭にはそもそも樹木がほとんど植えられていない、あったとしても松の木を見ることは少なく、庭が狭いせいもあって潅木が多かった。 数少ない松も整形されていない。 車窓からも、見学先でも「これは何」と眼についた不思議な松のサークルがあった。 どれも同じ手法で松の大きさも似かよっている。 松の大きさは6〜7m程で幹は曲がっている。 サークルの大きさにもよるが7〜8本の幹の曲がった松を、バランスよく配置している。 囲われた中心には記念碑や庭石が置かれていた。 農村の山裾にはこのような用途に使うためか、幹の曲がった松を仮植して、倒れないようにロープで相互に結んでいる風景をいくつか見かけた。 韓国独自の松の造園法なのだろうか、これまでに見たことがない。 造形的な意図だけなのか、松が使われていることから何らかの文化的な意味があるのかもしれない。 日本では中世頃人名に、「千代松」などと松という植物名の入った名が多かったが、近世になると「蔵」に数字を組み合わせた名が多くなるそうである。 長寿、若さといった人の生命、肉体に関する願望にかわって、こうした経済的富に対する願望や人工物に対する羨望、期待が名づけの動機なってきている。 江戸時代の東海道の風景を見ると、松の並木がよく描かれていたが、現代では稀になってきている。 京都では二条城の堀端に植えられているくらいである。 韓国でもほとんど見かけなかったが、日本で人気の「冬ソナ」のロケ地春川は松の並木道が観光コースになっているので、ないことはないのだろう。 10数年前に韓国の東側を旅行した時は、街路樹は圧倒的にヤマナラシの木が多かった。 今回のコースはその反対側なので比較はしにくいが、桜が圧倒的に多く、カエデや欅、百日紅、ヒトツバタゴなどの落葉樹が多かった。 桜は日本の木というイメージが強く抵抗があるそうだが、歴史的な意味よりも美しさが優先しているのではないか。 他の樹木も常盤木(常緑樹)でなく若葉から紅葉まで変化が楽しめる落葉樹で、これらは日本でも人気のある街路樹である。 木の歴史的、文化的な意味よりも、見た目の美しさが選択の基準になってきている。 松から桜、価値観がグローバル化するなかで、東亜日報の記事のように、韓国のアイデンティティはこれからどうなっていくのだろうか。 (株)京都建築事務所 代表取締役専務 小林一彦
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