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私の故郷は長崎県北部の炭鉱地帯だった小さな町である。 九州大陸の西端にある。 家は商家で30uほどの中庭があった。 そこには小さな池とその縁取りに石組みがあった。 植栽は高木として松と泰山木、ナツメの木があった。 和風庭園の構成としては、ナツメの木は余分だが全体としては和風庭園の定石に倣ったものである。 思い出深いのはナツメの木、実が赤く熟れて食べられる時期が待ち遠しかった。 泰山木は、濃い緑の硬そうな大きな葉と白い大きな花を記憶している。 泰山木は明治6年にアメリカから伝わり、当時玉蘭と呼ばれ、蓮の花に似た大きな白い花と芳香が注目されて、瞬く間に全国に普及したそうである。 戦後間もない頃の記憶で当時4〜5mくらいの高さだったので、戦前の早い時期に九州の片田舎まで普及したことになる。 同じくアメリカ原産のアメリカ花水木は大正4年にワシントンDCに贈った桜の返礼としてアメリカから贈られたが、魅力的な木にもかかわらず普及は泰山木に比べ遅かった。 第二次世界大戦をはさんでいて、アメリカという名前が災いしたようである。 泰山木は西日本のどこにでも見かけられるが、街路樹とか目立つところには少ない。 スケッチは北イタリアベネチアに近いパドヴァのサンタントニオ教会の中庭である。 ゴシックとビザンチン様式の混在したイスラムの影響を受けたこの地方らしい建築である。 この中庭のシンボルツリーが泰山木である。 日本の美学には庭園でも生け花でもシンメトリーはない。 非対称の不等辺三角形の構成をとる。 従って何本かの樹木又は花木を組み合わせて釣り合いをとり造形している。 泰山木は直幹性で対称的な樹形になるが、シンボルツリーとして使われた例は知らない。 例外として、対称的な樹形の樹木である針葉樹の高野槙をシンボルツリーとして使う例は東日本にはよくみられる。 その場合でも他の樹木と組み合わせて植えている。 イタリアの場合は教会や住宅でも泰山木の一本立ちが多かった。 日本ではほとんど背丈ほどまで下枝を剪定しているが、イタリアでは下枝は剪定せず、下枝が地上すれすれまで枝垂れて、大きなクリスマスツリー型の樹形になっている。 泰山木は壮木になると枝垂れるということをイタリアで初めて知った。 北イタリアのシンボルツリーの定番はタイサンボク。 住宅の庭でも多く見かけた。街路樹にも使われていた。 アメリカから何時伝わり、このような樹形で使われるようになったのは何時頃なのだろうか。 中庭に面して回廊があり、回廊に沿って中庭の縁取りとして、スケッチではわかりにくいが50〜60cmの高さの四角に刈り込まれた木槿の生垣がある、その内側の回廊の腰壁には鉢植えの南アフリカ原産のゼラニウムが置かれている。 木槿は漢名の音読みでムクゲだが、韓国では無窮花(ムグンファ)とも書き韓国の国花である、ムグンファがムクゲの語源と言う説もある。 原産地はインド、中国である。 ハイビスカスの仲間で多様な品種があり、花期が夏から秋にかけて長く、日本でも良く植えられている。 生垣として使われる例は少なく、ましてイタリアのように低く刈り込まれた例は知らない。 このような形での生垣は日本ではつげがよく使われる。 韓国でも見たことがない。 花をたくさんつける花木は一般的に刈り込むのには抵抗がある。 花が咲かなくなるのではないかという危惧はムクゲの場合は当てはまらない。 イタリア人は刈り込みにめっぽう強いという木槿の性質を熟知しているようである。 どこの教会も伸びやかに枝垂れた泰山木のシンボルツリーと低く刈り込まれた木槿の生垣の組み合わせが多かった。 泰山木の艶やかな濃い緑と木槿の柔らかな淡い緑の縁取りの組み合わせがいい。 イタリア人の木の特質を生かしたデザインセンスである。 ここでは樹木や花の国籍は問われていない。 (株)京都建築事務所 代表取締役専務 小林一彦
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