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竹はイネ科の植物である。 イネ科の植物はほとんど草であるが、竹材は木に近い。 京都は竹材の洗練された工作物が多い。 町屋の犬矢来、建仁寺垣、南禅寺垣、金閣寺垣、光悦寺垣、竜安寺垣などルーツの寺の呼称で呼ばれる寺毎に違った型の竹垣がある。 一般の建築にも様々なところで使われて来た。 京都の竹の文化は質量ともに日本を代表している。 しかしながら近年はプラスチックの竹垣等、質感の無い偽者が多くなって竹の文化も危うくなってきている。 そんな中町屋の軒先に洒落れた竹の工作物を見つけた。 中京区堺町通り錦上るにあるこの町屋は、外見上かなり古びていた。 改修は丁寧に時間をかけて行われていた。 通勤の途中よく前を通るので、工事の進め方と用途が気になっていたが店開きしたのはスタンドバーだった。 外部は一階を全面、二階は窓回りだけの改修だった。 木のガラス戸に木の雨戸を使い、伝統的な木の意匠でまとめてある。 改修していない柱や長押は黒い色だが、新しい部分は木の赤味がかった明るい色が人目を引きつける。 古い部分と統一はとれていないが、古い部分の一部をそのまま残すという手法は建物の履歴がわかって面白い。 この夏、木製のプランターに軒より高く竹を立て、朝顔が植えられた。 西向きなので西日対策とも考えられるが、店が夜開店する頃には西日は当たらない。 なぜだろう? 理由はともかく格子状の竹の柵は木の意匠と呼応してさわやかで朝顔の緑がみずみずしく涼風を運んで来そうだ。 西日対策より夏用の広告塔だったのかも知れない。 竹は日本人にとって最も身近な植物である。 遊具としては竹とんぼや竹馬、道具としては竹箒や笊、箕、籠、竹筒、茶筅など無数にある。 小正月の火祭り「左義長」は松飾や注連縄などを集めて焼く行事で、爆竹音の大きな年は良い年とされ、心竹の燃え倒れる方向でその年の吉凶を占ったそうである。 地方によっては「どんど焼き」とも呼ばれている。 私の育った長崎県の田舎では不確かな記憶だが「おにび」といっていた。 正月7日子供達で、町の空き地に竹と丸太を組み合わせて三角の小屋組みを作り、屋根や壁に正月の門松や注連縄を括り付け、藁でおおって小屋を造った。 そこに一晩こもり翌朝火をつけ燃やし、残り火で餅や芋を焼いて食べるのが楽しみだった。 今日、地鎮祭は神を招くために葉つきの生竹を立て、注連縄を張り回して清浄な神座をつくる習俗などは古い起源をもっている。 「七夕祭り」や「エビス祭り」も竹が用いられる。 葬送儀礼では、柩が青々とした竹垣で囲まれ安置される。 これも一種結界で、タブーの領域であることを示す。 この竹垣は、浄土に旅立つ死霊の座す聖域と死体の穢れが発生している場とを同時に示している。 つまり、この竹垣は「聖なるも」と「穢れたもの」を同時に示す両義性を持っている。 時代劇の中の刑場は竹矢来で囲まれていて、×印の竹矢来は一種異様な刑場の雰囲気を作るのに欠かせない。 手入れの行き届いた「竹林」はプラスイメージ、生えるがまま放置された「竹薮」はマイナスイメージでとらえられる。 最近は竹の利用が減って藪が増え、また森林の中にも侵入するようになって、竹は悪者扱いにされてきている。 スギ花粉の杉と共に日本の森の風景を作ってきた主役たちはその座を追われる運命にあるのだろうか。 (株)京都建築事務所 代表取締役専務 小林一彦
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