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A. 鑑定について
「鑑定」①物の真偽・良否を見定めること。めきき。「筆跡鑑定」「真贋を鑑定する」②〔法〕学識経験を有する第三者が、裁判官の判断能力を補助するため、専門的見地からの判断を報告すること。(「広辞苑」より)
〔美術〕美術作品の作者(時に流派)、時代、制作場所などを決定ないし推定すること。
鑑定の最大の目的は、作者の決定。当然、真贋の問題も含まれる。
その結果によって、作品の市場(商品)価値にも大きく影響する。この点で鑑定は、ある作品の作者や制作年代などをめぐる純粋に学問的な研究とは性格が異なる。
鑑定作業には、①弟子・助手あるいは後世の心酔者・芸術家の卵による模写か否か。②工房の作品か否か。③複数の作者がかかわった作品の分担部分の見極め。④別人ないし後世の手になる補筆・補修の発見。
(日本)室町の中ごろ、中国から美術品が多数輸入され、和漢の書画や道具類の鑑賞が武家・公家・禅林で盛んになった。
とくに茶の湯の成立と流行によって、唐物を中心とした茶道具に書画を含めた文物の鑑賞の風潮に拍車がかかった。(例えば、書院建築様式の定着。闘茶の流行。)
当初は、幕府御用を勤めた阿弥衆・五山僧・茶人などがその任にあたった。
当時の鑑定は<目利き>と云われ、必ずしも真贋を鑑定することではなく、その規準は<数奇に入る><見立てる><掘り出す>ことであった。
つまり、作品に新しい解釈と意味づけを与えることであり、だれも気付かなかった価値を見出すことであった。
今風に云えば、新しいビジネスモデルを確立することであり、新しいライフスタイルを提示することであったと解釈できる。(例えば、井戸茶碗の発見。数寄屋建築様式の確立。茶室の政治的利用の開発。)
やがて、贋作が多く現れるようになると<目利き>に真贋判断の意味が加わり、鑑定を業とする専門家が現れる。
桃山時代、刀剣の鑑定は、本阿弥家、書跡の鑑定は、古筆家が登場し、刀剣の銘鑑や古筆の手鑑(てかがみ)の集録が始まってくる。
江戸時代に入っても、鑑定方式は踏襲され、鑑定の家系は世間的にも権威をもった。絵画では、狩野派の宗家や長崎の唐絵目利きなどはその職を世襲した。
近代に入ると、文献的な考証や西洋美術史学の方法をとり入れた実証的な比較鑑定、さらに科学的方法が導入され鑑定法も発達する。
しかし、鑑定と贋作の関係は、銭形警部とルパン三世の関係である。
B. 鑑定書・折紙付き・極札・箱書・添え状と鑑定料
「鑑定書」:②美術品などが本物であると鑑定したことを保証する書面。(広辞苑)
日本では、鑑定の照明には折紙が用いられ「折紙付き」の称がおこる。鑑定者(目利き)は作品の伝来や作者の究明、価額について意見を求められ、それを鑑定したものが<極(きわめ)>であり、古筆家は「極札」を発行した。
「箱書」も極の一種だが、箔をつける意味もあった。
古美術品そのものがたとえ怪しげなものでも、鑑定書(=保証書)が付いていればそれだけで値段も保証される。ということは、それだけに頼って買うお客がいることをいみする。
自分の目を使って物を買わない収集家がもっとも頼りとするところは、こうした鑑定書である。そこに鑑定書の偽物も生まれる道理がある。作る側からすれば、美術品を作るのに比べれば、印刷物やハンコの偽造はそれほど難しいものではない。 ・古美術品と鑑定料との関係は、摩訶不思議なところがある。
古美術品には相場らしきものが当然あり、その道の業者はこれに精通している。(例えば、「高野切」五行ほどだったらいくら、「寸松庵色紙」ではいくらということは大体決まっている。)しかし、実際は時価である。
・くだんの鑑定家に持ち込むと「鑑定料」としてその一割ほど請求される。鑑定家は、自分がこれをもし仮に<善い>と鑑定すれば、時価の一割が懐に入る。しかし、<悪い>と鑑定すれば、鑑定料は手に入らないことになる。
C.贋作事件簿
1.金印『漢倭奴國王』事件(『金印偽造事件「漢倭奴國王」のまぼろし』三浦祐之著)
2.道頓堀裁判の顛末
3.富岡鉄斎と良寛
贋作の数が多い人物として、江戸期の富岡鉄斎と良寛は双璧。
鉄斎は、学者であり、趣味的に作品を作っているので、模倣が簡単とされている。
宝塚の清荒神には、富岡鉄斎の作品の真作と贋作が沢山あり、時たま「真贋展」が開催されている。
良寛の書は、細字であり、小作品であるため、天井から筆をぶら下げて筆圧を和紙に掛けないようにして作品作りをすると良寛手になりやすいとされている。
4.加藤唐九郎と「永仁の壺」 1959年、「永仁二年」(1294年)の銘をもつ瓶子(へいし)が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作であるとして国の重要文化財に指定された。しかしその直後からその瓶子は贋作ではないかという疑惑がもたれていた。この瓶子は結局、2年後に重要文化財の指定を解除されることとなり、重文指定を推薦していた文部技官が引責辞任をするなど、美術史学界、古美術界、文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなった。件の瓶子は実は陶芸家の加藤唐九郎の現代の作であったということで決着したが、事件の真相についてはなお謎の部分が残されているといわれる。なお、加藤氏は、後日、織部焼の人間国宝指定をされていたが、この騒動のため取り消されている。ただし、重要文化財級の作品を作る陶芸家として、逆に有名人になった。
5.佐野乾山の真贋事件
1962年、栃木県佐野市の旧家で発見された焼き物200点は、佐野で発見された尾形乾山の作品ということで佐野乾山と呼ばれ、真作か贋作かが議論を呼んだ。
川端康成は酷評したが小林秀雄やバーナード・リーチは絶賛したという。
この真贋論争は、日本最大の真贋事件と言われる 。
戦後の陶磁器界で最大の真贋事件となったのが佐野乾山事件は、伯祐三の真贋事件と多くの類似点がある。
①未発見の作品が大量に見つかった。
②作品には関連資料が付いていた。
③新発見の作品は、従来の真作と言われているものと作風が異なる。
④学者が真作派、業者・陶芸家が贋作派に分かれ対立した。
6.自筆「奥の細道」事件
松尾芭蕉『奥の細道』の自筆草稿の発見!!
⇒NHKニュース・NHKクローズアップ現代にて放送
⇒NHKスペシャル「幻の自筆本『奥の細道』」放送 ⇒阪神大震災で倒壊した古書店のタンスの中より発見
⇒伊賀上野市、30億円で購入希望(弟子の自筆本は、重文)
⇒複製・翻刻の豪華本―限定120部(中尾松泉堂書店 出版) ⇒普及本(岩波書店 出版)
共に売り切れ ・昭和30年頃、この草稿を4人の目利きが鑑定。すべて「黒」と判定。皆、物故。
中尾松泉堂社長の中尾堅一郎氏が仕掛け人。
現在、書の真贋を論ずるほどの書に対する知識をもっていない国学者。
特ダネ・スクープが欲しいNHKプロデューサー。
高価本を沢山売りたい女性編集者。 豪華本と普及本は、完売したが、草稿そのものは紙の鑑定を拒否したまま、どこにも売れていない。
石山テクノ建設株式会社 顧問 坂本良高
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