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ほんばこ 第一回 「 危機の心得 - 名もなき、もの言わぬ英雄たち」



佐々 淳行 著 
2012年9月青萠堂発行

 私の友人に野鳥観察のインストラクターを生業にしているK君がいる。彼は日本に限らず、世界各地に野鳥愛好家を連れて旅をつづけている。

 2001年のある酒席で、彼の実兄が「9.11同時多発テロ」のため、搭乗していたUA93便でペンシルベニア近郊に墜落し亡くなったことを知り、お悔やみを云ったことを覚えている。当時のメディアは、彼の名が、久下季哉さん(20)、早稲田大学理工学部の2年生と報道した。
 飛行機墜落により全員死亡したから、その詳細は誰も知らない。真実は、まさに神のみぞ知る、永遠の謎となった。
 そのため、彼らは誰も叙勲もされていない。 しかし、私はこの本「危機の心得」によって、次のようなことを知らされた。

 この9月11日、午前8時離陸予定だったUA93便は、ニュージャージー州ニューアーク国際空港を42分遅れで出発した。
 定員182人の中型機だが、当日の乗員乗客は37名、この中の4名がイスラム・テロ組織のアル・カイーダの国際テロ犯たちであった。
 さらに9時24分、UA93便は航空管制官から機長は「2機がニューヨークの貿易センタービルに突入した・・・」との警告を確認している。
 そのわずか3分後の9時27分に、乗客に紛れ込んでいた4人のテロリストたちが、コックピットになだれ込んできて、飛行機を制圧した。
 9時32分、テロリストは、乗客に向かって、機内放送をしたことを、その航空管制通信の電波により、航空管制官がこの日4件目のハイジャック発生を知るところとなる。
 一方で乗客たちは、それぞれ家族や勤務先の同僚たちと、密かに携帯電話で連絡を取り始めた。
 後の捜査によると、その件数は乗員3人、乗客10人に及んでいる。
 その内容は、複数の乗客が、UA93便をハイジャッカーから取り戻すと通信相手に語っている。
 UA93便には、乗客として全米大学柔道選手権大会でチャンピオンだったジェレミー・グレッグ氏や、海兵隊のアメリカン・フットボール選手だったトマス・バーネット氏などがいた。
 日本人乗客は久下氏(同じくフットボーラー)唯一人だった。
 信じられないことだが、ハイジャッカーたちはホワイトハウスの自爆テロをする気らしい・・・。
 そう感じた乗客たちが彼らアスリートを中心に、慌ただしく意思の疎通をはかって、決定した・・・。
 「この飛行機を我々の手で取り戻すんだ!」
 率先して行動を起こした男性の声は、夫からのファイナルコールとして妻の耳に残った―「レッツ・ロール!」事故後、回収されたボイス・レコーダーや一部の遺族とのつなぎ放しにした携帯電話で、これらの声が確認された。

 著者の佐々氏は、「私の想像―ホワイトハウスを、ワシントン市民を、そして自分たちの命を守ろうと、最後の最後まで希望を捨てず、許しがたいハイジャッカーたちと、壮絶な格闘を演じた。
 そして、その一人に久下季哉氏はいた―は、おそらく外れていない。」と記している。

 この本には、危機の現場に立ち会った無名の英雄たちの物語の17話が取り上げられている。
 入念な情報収集がされており、危機発生の日時や背景もコンパクトに記述され、無名の英雄たちが実名で登場しているのも、読者に大きな感動を呼び起こさせる。
 その反面、危機にたいして「無為無策」・「責任転嫁」・「軽挙妄動」・「厚顔無恥」だった指導者・政治家などには、辛口の裁断が下されている。

 その他に取り上げられている話を2例紹介すると、第一話は、「2001年3月11日の東日本大震災の際、放射能降る東北へ急行した英国大使とともに被災地に住む英国人への対応のため、困難な状況の下で長時間勤務をした日本人運転手3人の話。」第十七話には、「物言わぬ英雄として、3・11の東日本大震災で、77歳の飼い主を高台にある高校までの階段を引っ張り上げた14歳の老犬プチの話と9・11に世界貿易センタービル78階から全盲の視覚障害者の主人を事件発生とともに盲導犬ロゼルは、吠えもせず、落ち着き払って大混乱の非常階段に誘導し、押し合いへしあいの修羅場と化した中を、一歩ずつ、一段ずつ降りていって無事に路面に達し、センタービルから200mほど離れたとき、あの身の毛もよだつあの大崩壊が起きた話。」

 著者である佐々淳行氏は、危機管理のパイオニヤであり、これまでにも多くの危機に関する著作を出版している。現在では国家行政レベルから企業レベルはもちろんのこと、人間集団の最小単位である家族まで、危機管理の発想法・システム・方法論は、汎用性のある有効なツールと理解されている。
 著者は、危機に見舞われたとき、首相官邸で、企業の会議室で、家族会議で協議される応急対策の原理・原則は、本質的に同じことと言い切っている。

 最後に、佐々氏のプロフィールを簡単に紹介しておく。
 ご存じの方も多いと思うが警察官僚出身ですが、職場での直言・諫言が激しすぎて官僚仲間からは爪はじき者で、黙っていればあるいは警察トップも夢ではないといわれながら、警察を追われ当時の防衛庁へ、さらに防衛施設庁に移されて現役を終え、最後は当時の官房長官・後藤田正晴氏に抜擢されて初代の内閣安全保障室長を務め、その後は素浪人となり、天下のご意見番よろしく著作・講演等で活躍されている。

 どの本も戦記物を読むときのときめきと危機管理に関する含蓄深い教訓に教えられることが多い。




石山テクノ建設株式会社 顧問 坂本良高


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