2017春「奈良の大仏さま」 と興福寺、奈良国立博物館

東大寺(世界遺産)

東大寺の源流は、神亀(じんき)5年(728)に幼くして亡くなった聖武天皇の皇太子、基親王の菩提を弔うために造られた「三房」にまでさかのぼることができます。・・・<山房=お寺>

この山房は発展して「金鐘寺」と呼ばれるようになりました。

やがて「国分寺建立の詔」によって諸国に国分寺が造営されてゆく中で、正倉院文書によって知られる福寿寺などとともに大和国国分寺(金光明寺)となり、さらに大仏さまが造顕され大伽藍が整ってゆく過程で、「東大寺」と呼ばれるようになりました。


石碑に「明治天皇奈良行在所・東大寺東南院 舊境内」と刻まれています。
昭和八年に明治天皇聖蹟として指定され、東南院旧境内は昭和九年に国の史跡となりました。

さすがに、鹿さんにはまだ角は無いです。また秋に見に来たくなりました。

南大門(国宝)

天平の創建時の東大寺南大門は、962年(応和2年)の大風で倒壊。現在の南大門は、平重衡によって焼かれてしまった東大寺を復興した重源が、その総供養に際して再建したもの。1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)に安置された仁王像(金剛力士像)とともに竣工した我が国最大の山門。

   
阿形像と吽形像が安置されています。

金剛力士とは、金剛杵という武器で仏法を守る神のことで仁王とも呼ばれました。

鎌倉時代初頭の建仁3年(1203)に造られ、向かい合って立てられています。像高は約8.4mもあります、檜材の寄木造りで、部材の総数は、阿形は2987個、吽形は3115個にも及びます。巨像ながら、わずか69日の短期間で造られました。
昭和63年から平成5年にかけて行われた大修理では、像内から重源上人や仏師たちの名前が記された「宝筐印陀羅尼経」などの経巻や文書、墨書銘が多数発見されました。これにより、阿形は運慶・快慶が、吽形は定覚・湛慶が大仏師として携わり、2体は同時進行で造られ、木材は周防国(山口県)から運ばれたことなどが判明しました、。

大仏殿

現在の大仏殿は江戸時代に再建された3代目です。

「奈良の大仏さま」こと本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)

本尊の大仏さまは、聖武天皇による「大仏造顕の詔」により造像が始まりました。

「大仏造顕」とは、大仏さまを「お姿」として造り顕わすことをいいます。この詔の趣旨は大仏さまの像顕によってよき未来を招き、世界が平和で、生きとし生けるものがともに栄えてほしい、と祈るものでした。

大仏さまは当初、紫香楽(滋賀県甲賀市)で造り始められましたが、地震などにより中断され、天平17年(745)、現在の東大寺の地に場所を改めて造営が再開されました。そして、天平勝宝4年(752)には、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇も行幸され、インド僧、菩提僊那を開眼の導師に、大仏開眼供養会が盛大につとめられました。また、大仏殿(金堂)以外の東西両塔、講堂、僧房、戒檀、食堂などの主要伽藍も、奈良時代後半までには完成しました、

その後、治承4年(1180)末、平重衡の南都焼き討ちにより、大仏殿をはじめ主要伽藍のほとんどを焼失してしまいましたが、「尺布寸鉄、一木半銭」という言葉で伝えられる俊乗房重源上人の超人的な勧進の活動と、入宋経験を活かした復興造営への努力により、かつての威容を再び取り戻しました。

しかし、戦国時代の永禄10年(1567)松永秀久と三好三人衆の合戦のため、またもや大仏殿等を火災で失ってしまいました。

その後、更に100年以上がすぎた江戸時代前期、公慶上人が幕府から許可を得て勧進を始め、再び大仏さまと大仏殿は復興されました。

 

北西隅 広目天立像 と 北東隅 多聞天立像

東大寺ミュージアム

東大寺総合文化センター(東大寺ミュージアム)
国宝や重要文化財の展示物等を通じて東大寺の歴史と「東大寺の意義」を知ることのできる施設で、現在「東大寺の歴史と美術」展が開催されています。

鴎外の門

「猿の来し 官舎の裏の大杉は 折れて迹なし 常なき世なり」 と石碑に歌が刻まれています。

・・・・碑文より・・・・
鴎外は、大正六年(一九一七)十二月に帝室博物館の総長に任命され、大正十七年七月に亡くなるまでその職にありました。帝室博物館長は、東京・京都・奈良の帝室博物館を統括する要職でした。
大正七年から十年まで、秋になると、鴎外は正倉院宝庫の開封に立ち合うため奈良を訪れ、滞在中の宿舎は奈良国立博物館の北東隅、この場所にありました。公務の合間には奈良の古社寺や旧跡を精力的に訪ね、「寧楽訪古録」や「奈良五十首」を残しています。また妻子に宛てた手紙や絵葉書を頻繁に送っていますが、その中には博物館周辺の略図を描き、宿舎の位置に「パパのいるところ」と書き込んだものもあります。
宿舎の建物はすでに取り壊され、ただひとつ残されたこの門だけが鴎外をしのばせてくれます。

興福寺


五重塔


東金堂


南円堂



三重塔


北円堂
日本の八角堂のうち最も美しいと言われています。そして、堂内には本尊弥勒如来像(国宝)、無著像・世親像(国宝)、法苑林・大妙相菩薩像、四天王像(国宝)が安置されます。

現在、興福寺の北円堂で特別開扉中です(4月22日~5月7日)

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天平乾漆群像展

興福寺国宝特別公開2017 阿修羅 -天平乾漆群像展
仮講堂にて、阿修羅像をはじめ八部衆、十大弟子、金剛力士など国宝館の主要な国宝が公開されています。

散策の道々で、

快晴の中、色鮮やかに木々が目に映えます。

奈良国立博物館


特別展「快慶」-日本人を魅了した仏のかたち が開催されています。

快慶は、鎌倉彫刻様式の完成に重要な役割を果たした人物として運慶と並び称される、わが国を代表する仏師のひとりです。

約20年ぶりの公開となる京都・遣迎院の『阿弥陀如来立像(重文)』や、和歌山・金剛峯寺の『四天王立像 広目天(重文)』など数多く出展されています。

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